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☆研究成果☆治癒理論40ヶ条解説    創始者  山 田  洋

author : miraiyobou | 2008.07.14 Monday


研究成果 治癒理論40ヶ条解説

1.自然な動きを助けると可動域が広がる。
2.不自然な動きを阻止すると可動域が広がる。
3.筋肉、神経は呼気で牽引すると弛緩する。
4.身体を反らせる動作は吸気で可動域が広がる。
5.上肢は回内すると挙上し易くなる(回外は反対)。
6.筋肉、神経は吸気で牽引すると可動域が狭くなる。
7.身体の屈伸の基準は静止位置を基準とする。(特定の形を基準とするのではない)
8.脳の判断基準は静止の状態で決定される。静止は一瞬で良い。
9.手法が脳に環境として決定付けられるのは静止した瞬間である。これを決まると言う。故に手法は一瞬の静止を必要とする。
10.身体の脳は環境の変化を最初は全て攻撃と見なして緊張する。その後に敵味方を判断する。 それは安全か危険かと言う事である。
   安全を確認した後に全身の緊張を解く。
11.環境に対する反応は全身を使う。
12.心の脳は思考し、身体の脳は反応する。身体の脳は考えない。考えている間に生命を失う危険性があるからである。
13.身体の歪みは学習と過剰防御反応の結果である。
14.身体の脳は身体改造を命令し実行できる。(例、リウマチ、骨形成、骨溶解、ガングリオン)
15.身体の脳は心の脳の命令によって反応するが、危険を感じたときには従わない事がある。
16.脊髄反射は身体の脳の下部組織への権限委譲である。
17.感覚器官(五感、感情脳)は身体の脳に直結している。
18.身体の真の支配者は体の脳(生命中枢)である。
19.身体の脳は動きの速さに恐怖し、緩慢な動きに安心する。
20.動きの速さの基準は自分自身の身体の動きを基準とする。
21.環境に対する基準は身体の経験による。(相対温度等)
22.身体の脳は危険を感じた経験の殻に閉じこもる。その殻の強さにより、手法に対する反応も遅くなる。
23.身体の脳は条件反射をも制限する事がある。(牽引にも抵抗する事がある)
24.気温の上昇過程(春先)には低温が身体に影響し、気温の下降時には高温はあまり影響しない。
    故に春から夏にかけての低温は強く影響する。(花粉症等)
25.筋肉の可動域は限界を超えた付近での牽引により大きくなる。
26.身体の脳は優しい接触にはその部分を弛緩して対応し、強い刺激には緊張する。
27.椎間板の固定化現象は年齢に関係なく生じる。
28.椎間板固定化の回復には5〜10秒程度必要とする。
29. 痛みは身体への危険警報であり、その部分を修復するための合図でもある。
30.痛い方向に動かせば、状態は悪化し、痛くない方向へ動かせば治る。
31.武道における関節技は痛くないようにやればそのままで手法となる。
32.身体は常に健全な側に合わせて左右同一にしようとする。
33.身体は常に治りたがっている。
34.身体は生きている限り必ず治る。
35.生き物は生き物を食べて生きる。食べ物はそこにある物、生きている物を食べればよい。
36.現前の環境に適応する為に、使わざる物は退化し、使う物は発達する。
37.「損屈」によって起こる症状はそれを引き起こして原状に戻す事で解消する。
38.内傷(体内組織の剥離)は原状回復した状態で20秒以上固定すれば、内傷は完治する。
39.「内臓病の原因は背部の筋の緊張である」(治癒理論、第三十九条)
40. 「痛みは神経、筋肉、組織の緊張によって発生する」(治癒理論、第四十条)

1.自然な動きを助けると可動域が広がる。
人間に限らず、自然界の動植物は生存の為に最適な身体と行動の自由を常に維持しようとしている。

それは生存競争を生き抜く為に不可欠の要件である。

その為に体内で必要なものを発達させ、不必要なものは即座に回収し、必要とする部分へ振り向けるようにしているのである。

これは常に自分自身の持つ全ての能力を必要なところへ投入するという戦いの原則に則っているのである。

そして、これこそが環境適応の根源的活力である。

この世界、この世は適者生存の原則で初めて成立しうるのである。

生存の為に知恵を使うもの、力を使うもの、速さや、空を飛ぶ事や、水中に活路を求めるもの、土中や密林や林や川の中、池の中、湖の中、あらゆる所に生存の可能性を求めて、もてる力を最高限度発揮する事を求められている。

競争や戦いと言うと忌み嫌う平和主義者がいるが、その人は他の生物の命を奪って生きていることを全く考えてもいないのである。

自分が手を下さなければ、殺していないなどと考えているとすれば、これは悪徳政治屋の論理であり、論外である。

この適者生存の原則は全ての生き物を生かすための最高の原則である。

こう書くと、まるで逆説的だが、触れられたくないからであろう。

戦いは強いものが必ず勝つとは限らない事を無意識に知っているので、できるだけ避けたいのが生物である。

例え、肉食獣でも、腹が膨れていれば無用な戦いは避けるのが常である。

昔、肉食獣が草食獣を食べるのはむごいと言って、アフリカで肉食獣の数を制限(殺した)ところが、逆の草食獣が全滅の危機に陥ったのである。

そこで原因を調査したところ、数百万頭の群れは伝染病が蔓延して、短期間で死に絶えてしまった。

生態系に異状が起きたのである。

現在の日本でも日光地方で鹿が増えすぎて困っている。

原生林が多くの被害を受けている。

これは狼が全滅して、鹿の数を制限するものが天候だけになったからである。

アフリカでは、肉食獣が激減して、病気やけがをした、又は環境適応力の弱い草食獣を食べることがなくなった。

肉食獣といえども健康な個体を捕まえる事はできないのである。

こうして伝染性の病気を持った草食獣が病原菌を撒き散らし、結果として群れを全滅の危機に陥れたのである。

人間は表面的な平和主義、博愛主義の名のもとに自然の生態系に介入し、結果として草食獣を虐殺したのである。

同様の事が共産中国でも起きた。

子供の頃に聞いた話であるが、中国の一地方で全村挙げて、雀退治をしたそうである。

方法は雀が長い時間飛べないところに着目して、村中総出で、屋根や木々その他到る所に人間が獲物や鐘や太鼓を持って陣取り、雀の休む場所を奪ったのである。

すると十数分して、雀の群れはばたばたと地上に落下し、一網打尽に捕えられた。

その年は雀に穀物を食べられずにすむと期待していたが、害虫が大発生して、ことごとく穀物は全滅したそうである。

雀は米や穀物を食べたが、害虫も食べていたのである。

結局は雀の涙?しか食べない穀物惜しさに企図した事が逆に全てを失ったと言う、笑えない結果になったということであった。

まるで落語の落である。

これと同じ事が現代医学や東洋医学の名のもとに行われつつある。

妊娠すれば安静に、過保護にし、冷暖房、衣服の過剰な着込み、やたら多くなった予防接種、衛生意識、清潔意識、これらが医師や製薬会社の商業主義と連合して際限のない過保護競争を展開している。

最近はこれに栄養意識が加わって大連合の様相を呈している。

生き物は過保護にすればするほど弱くなり、適応能力を失っていく。

すべての野生の動物で理解した事を、人間に当てはめられないでいるのである。

過保護とは外部から必要のない援助をし、自助努力を阻害して適応能力を失わせている事である。

身体を甘やかせれば、身体は助けられた事で甘えて、その能力が必要なくなったと感じ、本来、必要である能力を捨てて、退化させてしまう。

冒頭で書いた、無用なものは捨てて、必要なものに転用するのである。

熱源を外部から与えれば、熱を作らなくなり、筋肉、頭脳は使わなければたちまち退化する。

インシュリンを外部から与えれば、これを作る能力は失われる。

人工透析をすれば、腎臓は機能を失う。

過度な栄養摂取も同様である。

本来作る能力がある栄養素も必要ないので作る能力はなくなるのである。

これらを外部から与えずに、内部から自助努力を促すようにすれば、身体はたちまち活力を回復し、高め、自由闊達に働き出すのである。

適者生存とは

「適者生存の原則は現在の環境に適応するものだけが、生存できるための絶対条件なのである。

この原則無くして一切衆生は生存し、繁栄し得ない事を肝に銘じて理解すべきである。」


「こうした状況の中で、健康を維持し、自分自身の活動力を最大に高めるための環境には素直に従い、反応する。その環境を作る事が真の治療法である。」

だから、自然な動きを助けると警戒心を解き、素直に従い、可動域が広がるのである。

可動域が広がることは警戒や無意味な学習を止めるだけでなく、無用な自己防衛をも止め、外部の環境に向かって生きる領域を広げる。

これは活力そのものである。

このことを自然形体の治療法、手法に当てはめる時、大前提となるのが、この第一の原則である。

全ての動きには矛盾があるようで実はこの原則に照らし合わせて、何の矛盾もないのである。

40ヶ条の内、下記に述べる3条について考えると、

1.筋肉は呼気で牽引すると弛緩し、可動域が広がる。
1.手首を回内すれば挙上しやすくなる。
1.上肢を挙上する動作、両上肢、下肢を含めて身体を反らせる動作は吸気で可動域が広がる。
これらの動作は一見矛盾しているようだが、そうではない。

これらは全てが自然な 動きと言う点で、それぞれに全く矛盾はないのである。

これを基本の型の内、手首の回内、回外手法で説明する。

上肢を挙上する動作にお いて、右肩の可動がなく、挙上し難く、左肩は可動が大きくよく手が上がるとし て、この左右差を手首の働きに着目して、修正しようとするのがこの手法である。

その原理は次の通りである。

よく上がる方の左手首の可動を制限し、反対の右手首 の可動を良くする為に可動のある左手を呼気で回外し、吸気で解放する事により、その両方の回外、回内動作はいずれも左手首を回外しにくくして、回内するようにしているのである。

呼気で回外すれば、左手はその方向に牽引されて、回外方向に弛緩し、吸気で解放する事(回内)により、回内方向へは行きにくくなる。

即ち回外方向へと働くのである。

この一連の動作はいずれも回外方向へと手首の向きは方向付けられる。

同様に逆の可動の少ない方の右手は逆に吸気で回外し(回内方向へ働く)、その位置から、呼気で回外方向へ解放する。

この動作はいずれも回内方向へと位置付けるものであるから、手は挙上しやすくなるのである。

こうして左右差は解消される。

最後に上肢を挙上してもらえば、自然に吸気で挙上するので、この動作の時に上肢挙上の左右差は完全に修正される事になる。

こうして、一見矛盾したように思われるそれぞれの原理は自然な動きを助ける事により、より稼動域が広がり、行動しやすくなるのである。

ちなみに、呼気で始まり、呼気で終わる原則はそのいずれもが静止状態での手法動作なので、より身体の弛緩を促す呼気を使用するのである。


2.不自然な動きを阻止すると可動域が広がる。
上記1.の反対表現であると同時に、動作転位の理論的根拠を表現した原理条項である。

動作転位の発見からこの原理に思い至った。

不自然な動きを阻止する事は、身体に自然な動きをさせるということである。

この意味で 1.の原理の自然な動きを助けている事にもなるのである。

自然な動きを助ければ、行動は敏速になり、外敵から逃れ、攻撃能力を高め、生存の可能性を最大限に高める事になるのである。

又、不自然な動きは身体を損ねる事である。

これを阻止する事で身体の脳はその事に気付き、瞬時に誤ったその動作を修正する。


3.筋肉、神経は呼気で牽引すると弛緩する。
筋肉は緊張して、牽引する能力しかない。

組織が柔軟な構造になっているので、押す力はないのである。

これは同時に筋肉自身は弛緩する事ができない事を意味する。

そこで、身体にはこれに対応する拮抗筋が必ず存在する。

腕を屈曲する動作を考えると、腕を曲げる時は内側の筋肉が緊張し、腕を曲げる。

この時に外側の筋肉は牽引され弛緩する。

即ち伸びるのである。

この両者が拮抗筋である。

反対に腕を伸ばすときは外側の筋が緊張して牽引し、内側の筋は牽引されて伸びるのである。

もし、拮抗筋の両者が同時に働いて牽引したら、腕は動かない。

このように、拮抗筋が同時に緊張することがあれば、身体は動かない。

したがって、拮抗筋は一方が緊張して働いている時には、他方は必ず、弛緩しなければ意味がないのである。

その為に拮抗筋は牽引されると弛緩するようになっているのである。

これは神経も同様である。

この条件反射を治療で応用するのである。

これに加えて、自律神経の働きを考え、より条件反射の働きを確固たるものにする為に、治療においては呼吸を利用する。

・自律神経と呼吸

自律神経は内臓を律するが、それは休息と戦闘との使い分けである。

交感神経が緊張すると戦闘状態での内臓の働き、特に心臓を活発にしてそれに備える。

この時に筋肉も緊張状態となるのである。

これは環境の変化(戦闘状態)に身体を即応させるためである。

その一方で他の内臓は休息状態になり、働かなくなる。

これに対して、呼気の時は副交感神経が緊張して内臓の働きを活発にする。

呼吸において、吸気は交感神経の働きであり、呼気は副交感神経の働きである。

これを利用して、自律神経への働きかけに呼吸を利用するのである。

その他に人間の五感と身体の脳への影響が考えられる。

そこで、人間の五感と治療手段について述べる事にする。

・人間の五感と治療への利用

身体の脳への働きかけの手段として五感を利用する事が最も有効である。

下記にその可能性と将来への展望を述べる。

「目」 これは色や形、風景、それらは現在だけではなく、記憶の中のものであっても、身体の脳への影響は大きいが、人によって好き嫌いの差があるので、治療方法として、同じものが万人に通用しない。
個人に対応する事が難しいし、条件反射的的確さを期待しがたい。
精神面には効果があると考えられる。
また、目は脳に非常に近く、脳への影響は非常に大きいので、これを利用して脳の治療が可能である。
「耳」 これは音である。
音楽や様々な音を利用して治療は可能であるが、これにも好き嫌いがあり、目と同様万人に同一の治療法は期しがたい。
これとは別に、耳は目と同様に、頭蓋骨内にあり脳に近いところにある。
脳への影響は大きいので、脳の治療に応用できるであろう。
「鼻」 匂いである。
前記と同様に好き嫌いがある。
又、鼻は肺の門であるので相互に密接な関係がある。
「口」 味覚が主である。
前記と同様に好き嫌いがあるが、それ以外に口は胃への門であり、少なからず胃に影響を与える。
飲みかまない状態でも、口を利用して胃の治療も可能である。
「身体」 触感である。
前記と同様に好き嫌いがある。
指撫法も一部はこれを利用して治療している。
但し、個人差のない部分での利用であり、条件反射の範囲であるので、確実な効果が得られるのである。
触感には、「性行為」も当然ながら含まれる。
道徳との溝や別の問題はあるが、これも将来、治療に応用できると考えている。
「性行為不感症」等も治療できるようになるであろう。
尚、ここでは多くを述べないが、「性行為」を罪悪視するのはおかしいのである。
動植物から、人類まで、生存繁栄の基礎である行為を宗教的蔑視によって、罪悪視するのは自らの生存そのものを否定するものである。
「心」 精神作用としての心も治療に利用できる。
その一部として思念法がある。
これも開発途上であり、将来の目的とする分野である。
又、心を統御したいという問題は人類の永遠普遍の願望でもある。
「意識」 深層心理と治療は現在のところ、心理学の分野であろうが、これも別な角度から、自然形体療法として将来注目すべき分野である。
私はこれを「霊魂」の分野であるとも考えている。
以上分類した7項目はそれなりの設備が必要なものもあろうが、研究の発展により、克服できるのではないかと私は考えている。

特に目、耳、鼻は脳や精神作用への治療方法として重要となるであろう。


4.身体を反らせる動作は吸気で可動域が広がる。
身体を反らせる為には腹腔内が拡張していなければならない。

その為には肺に空気が一杯入っている必要がある。

楽器のアコーデオンの要領である。

これは当然の物理的法則であって、吸気でなければならないことは自明の理である。

上肢を挙上し、下肢を後方へ反らせる運動はこの法則の範囲であるから、呼気で筋肉が弛緩する事とは別の問題である。

身体も自然な動き、物理的法則に従うのである。


5.上肢は回内すると挙上し易くなる(回外は反対)。
これは自分で両手を挙上してみるとすぐに判る。

両手首を回内して上げるであろう。

回外して両手は挙げられないのである。

こうした自然でない、変な問題がおきたのは、西洋医学が両手の正常な位置を間違えて、無理に規定したことに起因する。

本来は回内した状態が自然なのである。

例えば、サルであっても木につかまる時は回内?している。

四足の動物は全てが回内した状態であらゆる動作を行っているのである。

同様に人間が水中で脱力をした状態の時に両手は回内し、動物の四足と同様の姿勢になるのはそれが自然な姿勢である事を証明している。

自然な状態が考慮されていないために、回内も過ぎれば逆に挙上しにくくなるのである。

西洋的な物の考え方は、自然の摂理を考慮せず、その場の都合のいいように考える事が多い。

純然たる科学においてさえそうである。


6.筋肉、神経は吸気で牽引すると可動域が狭くなる。
3.で述べた事の逆である。

しかしながら、可動域を狭くしたい場合もあるので、そのときはこの原理を利用する。


7.身体の屈伸の基準は静止位置を基準とする。(特定の形を基準とするのではない)
身体は静止状態から動かしたときに、屈曲したか、反らしたかを判断する。

これが呼吸に関係するのであって、基本的な形はないのである。

下記の原理と一体となって身体の脳は判断して反応する。


8.脳の判断基準は静止の状態で決定される。静止は一瞬で良い。
身体の脳は動いているとき、動かされている時はその動きの帰結を見極めるためにそれを注視した状態にある。

そうでなければその行為や環境の結果を判断できないからである。


9.手法が脳に環境として決定付けられるのは静止した瞬間である。これを決まると言う。
  故に手法は一瞬の静止を必要とする。
手法は動きのある状態では脳に対する決定的環境にはならない。

安心できないからである。

また、完全に安心するのは手を離した後である。

故に手を離すまでは、気持ちを緩めず、最後までしっかりと治療を継続しなければならない。

特に手を離すときは重要である。

そこで最終結果が決まるのである。


10.身体の脳は環境の変化を最初は全て攻撃と見なして緊張する。その後に敵味方を判断する。
    それは安全か危険かと言う事である。安全を確認した後に全身の緊張を解く。
瞬時触定の原理である。

全ての環境に対し、安全だという前提で行動すれば、命は幾つあっても足りない事になる。

国防の要諦と同じであり、先ず敵味方の識別を行うが、不審なものは全て敵と見なして行動しなければならないのは言うまでもないことである。

敵ではない、安全だと判断した時にはじめて、警戒、緊張を解くのである。

寝る時に家に鍵を掛けるのも同じ道理である。

こちらが何もしなければ相手は何もしないなどと考えるのは馬鹿げた平和呆けである。

自分が泥棒をしなくても、油断をすれば泥棒は入ってくる。

瞬時触定においても同様に一瞬は外敵と見なして全身が緊張、警戒し、その後に安全と判ってから、全身の緊張を解くのである。


11.環境に対する反応は全身を使う。
獅子はウサギ相手にも全力を尽くすという例えがある。

獅子だけではなく、野生の動物は戦いにおいて、相手を侮る事はしない。

相手が弱くても、無用な戦いは避けるのが常である。

常に命が掛かっているからであり、少しでも傷を負えば、自分自身が生命の危険に陥るからである。

身体も同様に、全身で反応するのである。

この原理を利用して治療するのが瞬時触定であり、一瞬ふれただけで、全身の反応が起きているのである。

その反応が微妙で、見た目には判別できない程であるから、他人の目からそれを見て取れないのである。


12.心の脳は思考し、身体の脳は反応する。身体の脳は考えない。考えている間に生命を失う危険性があるからである。
これは生き残るための大原則である。

身体は常に外部の環境に対して、休みなく反応し続けている。

ほんのわずかの気温や気圧、湿度などにも、意識の脳では感じ得ない微細な変化を関知し、対応(順応)しているが、その為の原則は全ての環境は危険であるという前提に立っているのである。

この環境とは気温や気圧、湿度などの自然環境だけを言うのではない。

物、動物、虫、人間も環境の一つである。

風で物が飛んできても、それが確認されるまでは、安全だとは考えずに避けるなり、はらうなりの対応をする。

それを見て、安全か危険か判断するのは意識の脳の政治的判断である。

身体の脳はそうした事は考えない。

ただただ、外敵や環境から身を守るために、全てを敵または危険と見なして即応するのである。

もし、身体の脳が政治的判断をしていれば、命は幾つあっても足りないし、身体の脳が必要がなくなるのである。

こうした身体の脳の即応と前進の統御なしには我々は一歩たりとも、歩く事はおろか立っていることも座っていることすらできないのである。

今、あなた自身の姿勢を維持するのに、どれだけの情報と筋肉への指令が必要か考えてみるといい。

それだけではない、同時に呼吸や心臓の拍動、体温調節、その他内臓の働き、目の動き、鼻で臭いを収集し、耳で音を注意深く聞き、等々を全て環境に即応した情報収集とそれに対する的確な判断に基づいて次々に命令を出し続けていかなければ、姿勢すら維持できないのである。

これらが全て延髄やそれに関係する小脳、間脳その他の生命中枢で行われているのである。

身体の能力や実に偉大である。


13.身体の歪みは学習と過剰防御反応の結果である。
身体の歪みの根源は一体何であろうか?なぜ起こるのであろうか?

これを考える前に、幼児の頃を思い出してもらいたい。

両手足を動かすことから始まり、寝返りを打てるようになり、ハイハイをして、四つ這いができるようになり、伝え歩きをし、よちよち歩きができるようになり、そして両足で立って歩行ができるようになるのである。

これら一連の動作は毎日の反復訓練で初めて可能となる。

そして、身体の脳が自身の身体をどう動かすかを覚え、心の意識の命令に基づき、あらゆる運動動作が可能になるのである。

これが学習効果であり、運動も武道もあらゆる動作が無意識的にできるようになる。

この学習効果が必要でないときや無用な姿勢を学ぶことに発動されると、肩こり等の無用な、またはそれを通り越した歪みを引き起こし、身体各部に有害な働きとなる。

これと、もう一つの歪みの原因は過剰防御反応である。

これは、心の命令とは関係なく、身体の自己防衛にとって非常に衝撃的な、又は継続的悪環境が加えられた場合に、身体の脳がそれに対して、自己防衛態勢を取った時である。

この自己防衛の姿勢は必ず歪みとなる。

何故なら、身体を守ろうとした時に、人間に限らず、動物もいわゆる半身の姿勢をするからである。

半身の姿勢とは逃げる用意と反撃の姿勢との中間の攻防両用の構えである。犬や猫が何かに驚き、身構えた時にこの姿勢になる。

人間は身体を斜めに構えて、急所を敵に曝さないようにし、反撃にも備えた姿勢となる。

両手、両足も前後に開き、同様の姿勢となるのである。

そして、それを強く記憶してしまうと、簡単には防御姿勢をやめなくなり、恒常的な歪みとなる。

この自己防衛本能は心の命令を全く無視してしまうほどの強力なものである。

そのよい例がプロボクシングの試合である。

ボクサー同士は腹部を打たれるとだんだん前屈みになり、顎が前に出て、相手のパンチを受けやすくなり、前に構えた両手も下がって、ますます急所である顎が無防備になる事を百も承知である。

しかし、これを自分の意志では止められないことを良く知っている。

そこで、お互いに腹部を狙い、その後に顎を狙ってパンチを繰り出すのである。

これなどは知っていても、判っていてもそうなることを前提とした攻撃方法であり、それが非常に効果的なことを、身体の反応は自分の意志では止められないことを知り尽くしているのである。


14.身体の脳は身体改造を命令し実行できる。(例、リウマチ、骨形成、骨溶解、ガングリオン)
身体の脳は必要であれば、自らの身体を自在に改造する能力を持っている。それが、適応力の源なのである。

しかし、それは適応であって進化ではない。

何故なら、「進化は退化と一体のものであるからである。」

進化が起こるには、退化がならず伴う。

退化と表裏一体のものをどうして進化と言えようか?

激しい生存競争において、必要のないものを持ち歩く愚はしない。

不要なものは速やかに別なものに改造する。

全てにおいて無駄のない身体でなければ生き残れないからである。

鳥類は羽で飛ぶ力を得た代わりに強力な前足を失った。

魚類は水中で自在の行動をできるようになったが、四肢を持たないか、又は失い、鰓呼吸ができる代わりに肺呼吸ができない。

このように使わないものはどんどん退化し、必要なものはそれに替わって新しく形成されるのである。

こうした能力が、必要のない(しかし、身体の脳は必要と判断)部分に形成又は適応すると、例に挙げた、リウマチ、骨形成(オスグット病)、骨溶解(リウマチ)、骨変形、ガングリオン(脂肪褥)などの形で発現されるのである。

個々の例においてはそれぞれの治療法において詳述する。


15.身体の脳は心の脳の命令によって反応するが、危険を感じたときには従わない事がある。
身体の意志は自らの身体を常に健全に保ち、生存しようとすることに全精力を傾けているのである。

これは生命体の根源的意志であり、使命である。

この為、心の脳、心の意志がこれにそぐわない命令を下しても、従わないことがあるのである。

そうでなければ、生命を全うできないのであり、この根源的意志のお陰で心の意志は好き勝手な事を考えていられるのである。

もし、こうした身体の意志がなければ我々は一瞬たりとも気を抜けず、心の意志の自由を失うのである。

もしこの身体の意志と身体の働きがなければ、呼吸や心臓の拍動を始めとして、内臓の働きの管理、体温調節、歩く時、立っている時も重心や体重移動、力の入れ方に至るまで心の脳で管理しなければならない。

このような状態では歩くことはおろか走ることなど想像の外である。

ここにも、より一層の健康管理をしなければ、自分の身体の申し訳ない理由がある。

もっともっと、自分の身体に感謝し敬意を払わなければならないのである。

健康を損ない、体の自由を失ってからでは、時既に遅し、である。


16.脊髄反射は身体の脳の下部組織への権限委譲である。
緊急を要する場合の身体の反応をより早く行うために、脳への報告と脳からの命令を待てない場合のために、脊髄反射がある。

命令伝達の時間的損失を省き、反応速度を高めるために、こうした機能が存在する。

これは迅速な判断と対応を必要とする部分に存在する。


17.感覚器官(五感、感情脳)は身体の脳に直結している。
情動である。

人間は不安を感じると心臓の鼓動は速まり、呼吸も早くなる。このような場合、人間は心の脳の意志とは関係なく、五感で感じて不安になる場合や、それ以外の理由のない不安を感じる時があるが、これは、感覚がそのまま身体の脳に直結して、その反応を引き出しているのである。

これは心の脳では感じられないことを身体の五感が感じ取り、感情の動きに直接繋がるこを示している。

また、頭では理解していても、恐怖を感じたり、その他の感情を抑えきれない時もある。

これらは脳の位置関係にも表れており、生命脳が深部とすると感情脳はその上にあり、心や意識の動きを司る知性の脳である大脳新皮質は最上層にあって、生命脳からは最も遠い位置にある。


18.身体の真の支配者は体の脳(生命中枢)である。
一般には、自分の身体は自分が一番良く知っているなどと言うように、あたかも自分自身が身体の全てを知っていて、支配しているように思っているが、実際は何もしていないし、何も知ってはいない事を知らないのである。 

自分の意志で生理現象を止めることは出来ないし、止められたところで一時的にしか過ぎない。

ちょうど騎手と乗っている馬との関係である。

いかなる名騎手といえども、馬の生理現象を思いのままに御する事は出来ないのである。

馬を支配しているのは馬の意思であり、人間の身体を支配しているのは身体の意志である。


19.身体の脳は動きの速さに恐怖し、緩慢な動きに安心する。
早さに恐怖を感じるのは、相手が自分の動きより早いと、その相手から逃れられないと感じるからである。

逆に相手の動きが緩慢であれば、命を脅かされないので安心するのである。

痛みや痺れなどの症状もそれによって身体の動きが制限されて遅くなっている。

故に治療は早さを以て良とせず、ゆったりとした動きを以て良とする。

痛みのある人は同様に早さに恐怖心が湧いて身体を固くして身構えるのである。


20.動きの速さの基準は自分自身の身体の動きを基準とする。
前項に関連して、相手の動きに対して恐怖を感じる時の早さの基準は自分の動ける早さである。

自分の動きに比べて対処できない早さに恐怖し、対処できる早さに安心して警戒を解く。

老人や身体の悪い人は早く動けないので、少しの早さにも恐怖心を感じ、身のこなしの早い人はその程度の早さにはくつろげるのである。


21.環境に対する基準は身体の経験による。(相対温度等)
身体の脳は、環境に適応するために動物も人間も季節変化、一日の気温などの変化、地域による寒暖の差などを記憶し、それに対応しようとしている。

このことは自然現象だけではなく、過去の経験に照らし合わせ、事故やその他のあらゆる記憶をも留めているのである。

例を挙げると、事故の経験のある人は、事故の音や状況が近くで再現されると一瞬のうちに事故の記憶が蘇って、その当時の体の状態を再現させたりするのである。

また、子供などが危険な状況や怪我をしそうになると見ている人は自分自身がその痛みを感じたりする。

これらは身体の脳の記憶によるものである。


22.身体の脳は危険を感じた経験の殻に閉じこもる。その殻の強さにより、手法に対する反応も遅くなる。
身体の脳は環境から身を守るために、最後の手段として身体を固くして対応する。

これは完全防御の態勢である。

言い方を変えれば虐められて、いじけているのである。

それは50肩、股関節症、膝関節症等の症状で筋肉の硬結として現れる。

こうした過度の反応を引き起こす程の劣悪な環境を身体が克服することが出来なかった結果である。

その身体にとって劣悪な環境の継続が長ければ長いほど、身体は厚い殻に閉じこもった状態になる。

その状態とは筋肉を緊張させ、専守防衛の態勢である。

その環境から逃げられない、打ち勝てないと判断したからである。


23.身体の脳は条件反射をも制限する事がある。(牽引にも抵抗する事がある)
第3条で述べたように、筋肉は牽引されると条件反射として弛緩するようになっているが、この条件反射をも制限してしまうことがある。  

前条で述べたように、殻に閉じこもるほど強い防護体勢では、この本能的条件反射をも制限し、牽引されることで、逆に緊張を強めて、強い緊張痛が起きることがある。

このことは触圧などのごく軽い手法にも反応して、激痛を伴う強い緊張痛を発生させる事がある。

逆に言えばその手法が緊張痛を誘発したと言うことは効果があったとも言えるのだが、その時は一端ゆるめても構わない。

但し、続ければ最終的には緊張を解く事になる。


24.気温の上昇過程(春先)には低温が身体に影響し、気温の下降時には高温はあまり影響しない。
    故に春から夏にかけての低温は強く影響する。(花粉症等)
季節と体調の関係は冷え性のことでも説明したが、絶対温度が同じであっても、季節により、感じる温度(体感温度)は全く違う。 

人間のような定温動物にとって、寒さは生命を維持するためには、厳しい危険な環境である。

しかし、暑さはそれほど問題にはならないのである。

身体の脳は季節の変遷を記憶していて、温度変化や湿度の変化を予測している。

この予測に合わない大きな変化が起きると変調をきたすのである。

とりわけ問題のある場合は春先である。

気温が高くなると予想し、それに適応しようとしている時に、急に気温が低くなると予想との差の開きは大きく、危険を感じて、過剰にそれに対応しようとする。

夏に井戸水に手を浸けると同様の冷たさを感じるのである。

この環境に対して、身体の脳は体温を維持するために全身の筋肉を震わせ、熱を作って体温調節しようとする。

この筋肉の緊張は頸椎全体の筋肉をも緊張させ、頭蓋骨を下方に引き下げる働きをする。

その結果として、頸椎椎間板に圧迫が加わるのである。

こうして、椎間孔付近で神経が圧迫を受け、関係する神経とその司る部位が過敏な状態になるのである。

特に粘膜がその影響を最も受けやすい。

目、鼻、喉である。

これが花粉症やアレルギー、アトピーの原因となる頸椎の異常を引き起こす真の原因なのである。

これに対して秋口は寒さに向かうことを予測して準備しているので、寒さに驚きはしないのである。

当然過度な反応はしないし、季節はずれの気温でも暖かければ危険は感じない。

身体にとって心地よい暖かさに他ならない。


25.筋肉の可動域は限界を超えた付近での牽引により大きくなる。
筋肉が緊張している時に牽引すると十分に伸びきらずに、逆に緊張が起きる事がある。

この時発生する痛みが緊張痛である。

この時に骨格や靱帯は可動の限界であるが筋肉にはまだ十分な余裕がある。

骨格は勿論、靱帯も伸縮しないので、それ自体の可動範囲は無いに等しい。

ところが、筋肉は伸縮し、身体の動きを司っている。

骨格、靱帯が構成する可動域よりは本来、大きな伸縮性があるのである。

ところが、筋肉に恒常的異常緊張がおきると可動域は極端に制限される。

骨格、靱帯が構成する可動域よりは遥かに小さくなるのである。

これは身体の脳が動きに危険を感じてその部分を使うことを拒否しているか、又はその部分にかかる荷重に耐えかねて、固定化しようとしているか(リウマチ)のどちらかである。最終的にはその関節は固定された状態になる。

こうした状態では、関節本来の可動域を超えた状態でなければ、筋肉に治療目的としての牽引は掛からない。

言い換えれば、牽引することによって引き出す筋肉の弛緩は期待できないのである。

そこで、可動域を少し超えた牽引が必要になる。

それで初めて緊張している筋肉に対しての牽引の働きかけが出来るのである。


26.身体の脳は優しい接触にはその部分を弛緩して対応し、強い刺激には緊張する。

身体の脳は新しい環境に対応する際に、最初は全て敵又は危険なものとして、対処することは既に述べたが、一旦その判断ができた時には緩やかで優しい接触にはその部分を弛緩させて受け入れ、強い刺激、環境には危険を感じて、身を守るために筋肉を緊張させ反発する。

身体を保護するためである。

これは動物を可愛がる時に身体を撫でてやると目を細めて、緊張状態を解き安心してくつろいだ状態を示す。

心地よい環境を受け入れ、無防備な状態になるのである。

この状態が弛緩した状態であり、治療目的に合致するのである。


27.椎間板の固定化現象は年齢に関係なく生じる。ある一定の姿勢を長時間続けると、椎間板はその姿勢のままになり、固定化されてにわかには動きにくい状態になる。

これは子供でもそうであり、老齢によるものだけではない。

子供に長時間同じ姿勢を取らせても、老人同様にすぐには身体の柔軟性は元に戻らないのである。

基本的に高齢になると徐々に身体全体の柔軟性は失われるが、長時間の同一姿勢は若い年齢層でも同様のことが起きるのである。

これは椎間板の可動域を超えてしまったのだと考えられる。


28.椎間板固定化の回復には5〜10秒程度必要とする。
前記状態の回復には最低5〜10秒くらいを必要とする。

その為に治療において、椎間板の回復を目指す時には手法を早くしてはならない。

十分に時間を取りながら、椎間板の回復を待たねばならない原因がここにある。


29. 痛みは身体への危険警報であり、その部分を修復するための合図でもある。
痛みは身体を護るための危険警報であり、痛みを感じるからこそ、それから逃れようとして結果として身を護る事ができるのである。

痛みを感じなければ、危険を察知できず、結果として生命を全うできない。

また、一方で痛みは身体を修復するための合図でもある。

その良い例が疲労による筋肉痛である。

山登りを例に取ると、同じ山を登っても、年齢や、元気さにより、疲労による筋肉痛の発生が違うことは周知の事実である。

ところが、この事をよく考えてみるとおかしな事に気づく。

痛みの発生に時間差があるのである。

同じ山を登ったのであるから、運動量は同じであるはずだが、痛みの発生が一見逆である。

筋力も強く元気な若者は比較的疲労度が軽いはずである。

ところが痛みは翌朝に早くも発生する。

これも変である。

何故使っている時に筋肉痛が発生しないのか?

これに対して高齢者は筋力が弱く、元気さも若者には及ばないのに、筋肉痛は数日遅れか1週間遅れくらいで発生するのである。

本来なら逆に筋力が弱い方の高齢者が速やかに痛みが発生して当然だと考えられるが、事実はその逆である。

ここに、修復と言うことの意味が隠されている。

道路工事を例に取ると、工事は夜間の交通量が少ない時を選んで行われる。

同様に筋肉の修復、疲労回復も身体を休めて使わない夜の睡眠時に行われるからである。

その修復時の老廃物が完全に搬出できなかった時に、それが筋肉を押し広げ、剥離痛となって、翌朝動かすと痛みを発生させるのである。

筋肉痛の時間差は身体の元気さに比例する。

体力があれば早く回復し、無ければ送れて回復する。

元気な若者は常に修復のための資材や準備ができているので、運動したその夜から修復が始まるのである。

その若者を以てしても、疲労が一晩で完全に回復できなかった時に翌朝の筋肉痛となって現れる。

この剥離痛は朝起きて筋肉を動かし始めると老廃物は筋肉の圧力で血管中に押し出され、剥離の原因である老廃物が無くなると痛みは消えるのである。

これに対して老人や元気のない人は、修復のための資材を集め、人手を集めるのに数日から1週間くらい掛かるのである。

こうして修復の準備が整うと修復の号令、合図としての痛み、又はその前段階としてのだるさが発生するのである。

これが、一見逆に思える剥離痛の時間差となって現れるのである。


30.痛い方向に動かせば、状態は悪化し、痛くない方向へ動かせば治る。
痛みは危険警報であることは上記で述べた。

このことは痛い方向へ動かすことは身体にとって危険であると言うことである。

身体が悲鳴を挙げているのだ。

当然、そうする事で状態は悪化するし。

痛くない方向へは問題がないので、治るのである。

このような自明の理であるはずのことが、一般人はおろか過去から現在に至るまで医師は治療の専門家にも判っていないのは考えてみれば不思議なことである。

臨床上において、診断に苦しんだ時、原因不明な時は痛くない方向へ動かすことで解決への道が開けることが多い。

焦らず、痛くない方向を探すことが肝要である。

「人間生きてさえいれば、必ず治る。治らないのは治す方法が判らないだけである。」


31.武道における関節技は痛くないようにやればそのままで手法となる。
武道における関節技は可動の限度を超えて行動の自由を奪い、相手を打ち負かす目的の技である。

それは関節の力の入りにくい部分と方向に力を集中させ、可動限度を超えた時点で相手は痛みを感じ、行動の自由を奪われる。

それを我慢すれば、関節は機能を失うからである。

これは可動を超えなければ、そのまま手法として使用できる。筋肉に最も牽引が掛かるからである。


32.身体は常に健全な側に合わせて左右同一にしようとする。
人体の恒常性(ホメオスターシス)である。

本来一番先に掲げるべき事ではあるが、あまりに当然過ぎて、書き忘れた。幻痛の治療にこれを応用する。

人体においては、正義(健康な本来の状態)は必ず勝つ。

次の1条と併せて、生き物の自然治癒力を構成する重要な要素である。

生存のための基礎、基本、根幹と言っても良い。


33.身体は常に治りたがっている。
人体の恒常性(ホメオスターシス)である。

医聖ヒポクラテスの言葉を私流に言い換えた言葉。生き物の、常に健全な状態へと身体を保とうとする働きは生命を維持する根幹である。

しかし、もし、心の脳(意識)が活きる事を望まなくなった時、活きる希望を失った時は、この限りでは無い。

国民の信頼を失った軍隊(身体)は、急速に戦意を喪失し、機能を失い敗北する。

軍隊(身体)の敗北とは死である。


34.身体は生きている限り必ず治る。
細胞は常に再生(治る)されている。

だから全ての生き物は生きている。

身体は再生(治る)されているからこそ、生きているのである。

治らないとすれば、それは治し方が間違っているか、判らないかの問題であり、対症療法は治そうともしていないので、治らないし、治せないのである。

再生とは、生まれ変わる事であり、新しくなると言う事である。

車の部品で言えば、新品に交換されると言う事である。

決して中古部品を交換したという程度の事ではなく、真新しい新品の部品になったのである。

常に細胞が新品になっているのであるから、活きている限りは治らないはずが無い。

問題は一気に交換されるのではなく、徐々に交換される事である。

この事によって折角、新しくなった細胞に過度の負担が懸かり、支えきれずに劣化していく。

この劣化を防ぐ手段を講じれば、例え、器質疾患と雖も復活するのである。


35.生き物は生き物を食べて生きる。食べ物はそこにある物、生きている物を食べればよい。
過去から今まで、生きてきた人間は、薬も特別の栄養素や多種類の食べ物を食べずに生きてきているのである。

昔は皆偏食であった。

ほとんどの動物は偏食である。

好物の食べ物が無くなり、やむを得ず別の物を食べるに過ぎないのである。

本来の姿は季節の物、その地方に自生している物を食べればよいのである。

植物も生き物である。

動物だけが生き物ではない。

殺生がいけないというなら、生き物は何者も存在し得ない。


36.現前の環境に適応する為に、使わざる物は退化し、使う物は発達する。
自然界は現前の環境に適応した者だけが生き残るようになっている。

これは「進化」ではなく、「適応」である。

人間も動植物もこの原則から離脱できる者はいない。

現在持っている自己の能力を最大限に発揮するしか生き残る道はない。

だから、不用な物は分解され、別の必要な物に転用される。

無駄な物を残しておく余裕は全くないのである。

ところが現代医学は身体の機能を別な物で置き換えて助け、過保護にする為にその機能は永久に失われる。

糖尿病のインスリン、腎臓の代わりの人工透析等がその例である。

外部から、熱を与えれば熱を作らなくなり、筋肉を助けて使わなくても良いようにすれば、筋肉は退化して役に立たなくなる。

ところが対症療法は何でも助けたがる。

これでは「贔屓の引き倒し。」である。

親馬鹿が子供に替わって試験を受けるようなものである。

子供は何時までも自立できなくなる。

身体も同様で自律作用を失い、自立できなくなるのである。


37.「損屈」によって起こる症状はそれを引き起こして原状に戻す事で解消する。
損屈」とは強組織(皮膚、筋肉、骨格)に挟まれた軟組織が疲労を起こして、細胞の形を損じ、変形して潰れた状態になった事と定義する。 

軟組織は長時間の摩擦、圧力、又は急激な圧力(打撲等)によって損屈を起こす事がある。

損屈によって発生する症状は痛み、痺れ、感覚麻痺があるが、これらの症状は原因が損屈であるので、損屈を引き起こすようにして、原状に戻してやれば、すぐになくなる。

これは下記の「内傷」と同様に極短時間現状に復した状態を維持させてやれば良い。

引き起こす時間は剥離ではないので、3秒以上で十分である。


38.内傷(体内組織の剥離)は原状回復した状態で20秒以上固定すれば、内傷は完治する。
「内傷」とは体内の傷、剥離と定義する。

例を挙げれば、靱帯組織の剥離がある。

成長痛やオスグット病と言われるものの中で、治療して、最後に残る痛みがこれである。

膝を限界まで屈曲したり、曲げたまま強く体重を掛けた時に、脛骨粗面付近に発生する痛みは、その時に靱帯が裂けて起きる剥離痛である。

この裂けた状態を内傷と言う。

この時に裂けた状態を左右から挟むか、横から押さえる様にすると裂けた状態はなくなり、痛みは消える。

この状態を10秒(場合により、20秒)以上継続すると裂けた状態は解消し、靱帯組織は密着して、正常な状態に回復する。

こうすると完全に密着して、正常になり、以後内傷はなくなり、体重を掛けても、膝を極限まで屈しても剥離(内傷)は起きない。

損屈も内傷も短時間原状に復することで見事に解消する。

これは身体の素晴しい奇跡の様に見えるが、誰の身体にも当然のようにある回復力である。


39.「内臓病の原因は背部の筋の緊張である」(治癒理論、第三十九条)このような事を書くと現代医学の信奉者の大方の叱声を買うであろうが、これは事実である。 

現代医学で言う、内臓反射は原因と結果を全く逆に捉えている。

背部の筋群の緊張は交感神経の緊張で起こる。

そして、交感神経の緊張は副交感神経の休止と表裏一体である。

この事は現代医学の常識である。

心臓以外の内臓は副交感神経の緊張によって起こり、内臓は活発になる。

この時、交感神経は休んでおり、背部の筋の緊張は起こらない。

筋の緊張が起きなければ痛みは発生しない。

筋肉が弛緩している状態では痛みは発生しないのである。

だから、内臓反射で背部に痛みが生じると言う考えは本末転倒で誤りである事が判る。

筋肉は収縮する事はできるが伸びる事はできない。

この緊張、収縮状態が肩の筋肉、僧帽筋等で起これば肩凝りであり、脊柱起立筋で起これば背中の凝りとなる。

凝りとは筋肉の緊張(収縮)状態である。

自分の意志に反して、緊張状態が解けなくなる、

弛緩できなくなる事が肩こりの状態である。

筋の緊張、収縮状態の結果として血管は収縮し、血行は遅滞する。

即ち、血流量は少なくなる。

そして筋肉は疲労し老廃物が付近に停滞する為に痛みや不快感が派生するのである。

これなども、一般に言われている様に、血流が悪くなった結果として、肩こりが発生するのではない。

順序が逆である。

「凝り」の状態は先程述べた様に、筋肉の緊張であり、特別に「凝り」と言う状態があるのではない。

この筋肉の緊張は脳の命令によって起こっている。

筋肉が勝手に緊張するはずはないのである。

身体の脳の命令があって筋肉は弛緩できないのである。

笑い話であるが、もし、筋肉が身体の脳の命令なくして勝手に緊張する様な事があったとすれば、大変な事になる。

身体は心の意志の命令を待たず、好き勝手に動くとすれば、我々は自身の意志によって行動する事自体ができなくなるのである。

表裏一体と言う言葉があるように、表は背部、裏は腹部である。

腹背一体と言おうか、背と腹は一体なのである。 背部の緊張は腹部の緊張を引き起こし、心臓以外の内臓はその働きを著しく制限される。

この為に、内臓は食べ物が入ってきて、消化作用をするべき時に、十分に働く事ができない。

この事は胃や腸で最も問題になる。

理由はまだ解毒されていない食物が滞留し、腐敗するからである。

これに対して、一旦肝臓を通過した食物は肝臓で解毒されて、臓器に害は及ぼしにくい。

そこで、消化器系器官の胃、腸が最も直接的にその被害を受ける事になるのである。

精神的ストレスが消化器系の胃や腸に最も影響を与え易いのはこうした理由からである。

精神的ストレスが胃の痛みを引き起したりする事は誰しも経験があると思われるが、精神的ストレスは内側、前面腹部の筋肉の緊張を引き起こす。

理由は精神的ストレスは必然的に防御の姿勢をとるからである。

怒りや悲しみ、苦しみ、落胆などの精神状態では身を守る事が最大の条件となる。

その爲に身体を固くする。

それは筋肉を緊張させて身を守る事であり、弛緩させて、急所である前面を敵に晒す事ではない。

これに対し、肉体的ストレスは後ろ側の筋肉を緊張させる事である。

何故かと言うと、人類の二本足歩行では前方に身体を移動させる為には、前傾姿勢が絶対に必要である。

が、その爲には背面の筋肉を緊張させて、前傾姿勢を維持する事が必要になる。

この時、前傾姿勢に腹筋や前面の筋肉の働きは差程必要としないばかりか、邪魔になる事がある。

前傾姿勢が腹筋や前面の筋肉の緊張を必要としない理由は地球の重力である。

前傾させれば重力の働きで、自然に前方に倒れる為に、前面の力を必要としない。

背筋でこれを後に引いて倒れない様にする事が大切な事である。

仕事でも後に移動する事は稀であるが、前方に移動する事は常に必要である。

その上、人間の顔、頭は首の前側に位置している。

これも自然に前傾姿勢を促す事になり、背筋の緊張を必要とする。

こうした人間の構造と行動上の理由から背部の筋の緊張は避けられないのである。

前面、腹部の筋の緊張はそのまま内臓に影響し、背部の筋の緊張も同様に 内臓の働きを悪くするのである。


40. 「痛みは神経、筋肉、組織の緊張によって発生する」(治癒理論、第四十条)
例えば、虫歯の痛みも治療によって数分以内に治る。

歯科医で言われている様に虫歯菌が神経を刺激して痛みが発生するのではない。

だから自然形体の治療によって痛みはその場で消失し、鎮痛剤を服用して痛みを止めた場合と違い、数日以上は痛みは再発しない。

胃の痛みもそうである。

胃が痛い時は胃が収縮した状態を感じることができる。

胃腸も筋肉でできているので、収縮(緊張)した時に痛みが発生する事は誰でも経験した事があるであろう。

筋肉が張る、吊る等の事も同様に筋肉の緊張状態なのである。

また拡張、膨満、萎縮も緊張の一種である。

癌が痛くないのは癌それ自体は他の組織や臓器に緊張をもたらす者ではないからである。

癌は単に存在し、増殖するだけで、その増大によってせいぜい他の臓器を圧迫するだけで、その影響は脂肪よりも遥かに軽微である。

ところが、一般には癌の闘病生活は凄絶な痛みと苦しみが伴うとして、最も恐れられているのが、現状である。

本来、痛みを発生しない癌が、全く逆に激しい痛みで苦しむ病気として考えられている。

このような大きな誤解は一体、何処から来るのであろうか?その原因を以下に於いて記述する。

癌が早期発見出来ないのは、痛くないということだ。

米粒ぐらいであろうが、内臓全部が癌になっても痛みはないので、早期発見が出来なくて手遅れになるという例がたくさんある。

東京の女性患者の知り合いが、二十歳で胃癌になって、医者に「あと余命数ヶ月」と言われたそうだ。

ところが今、四十六歳になって癌はあるがピンピンしている。

そういう人もいる。

それ以上大きくならないのだ。

その人は、癌を宣告されてからも、それきり何もしてないと言う。

薬も飲んでなければ、病院に行って、治療を受けているわけでもないけれども、その状態で、二十六年間何ともなしに、普通に健康で生きている。

私が今あえて「健康」というのはどういうことかと言うと、その身体が健康であるから癌という寄生虫が居ても何ともない。

癌があるけれども、その人の身体は健康だ。

それが私の言う健康である。

癌は単なる寄生虫に等しい。

寄生虫がいても、それが大きくなっても、病気とは言わない。

だから、癌が大きくなっても別にどう言うことはない。

身体が健康であれば、癌が有っても痛みはなく、癌の増殖を抑え、きちんと仕事もして普通に生活が出来る。

この方は一般に思われている癌患者とは全く趣を異にしている。

余命数ヶ月と宣告されて、以来二十六年間も健康で活きているのである。

これは事実である。

そうすると、我々がここに癌を退治する一つの大きな指針は健康にすればいいと言って良い。

では「健康」とは何か。

食べ物は何を食べたらいいのか、何を食べてはいけないのか?

例えば、癌細胞は誰にでも、毎日、毎日、百万個出来ると言われている。

それでも薬を使わないで治っている。

そして二十歳の時に余命数ヶ月と言われてもピンピン生きている人もいる。

ところがその一方で、癌で死んでいく人もいる。

癌で苦しんで亡くなる人もいる。

一般的に癌は苦しむものだと思われているが、それは全く逆である。

問題が大きいので話が飛ぶが、癌に限らず人間が病気を起こすということは、例えば内臓であれば、背部筋が緊張して交感神経が働くと同時に、副交感神経は停止してしまう。

そうすると内臓の働きが悪くなる。

そこへ無理やり食物を詰め込んだりする。

稼動していない。 工場が少ししか動いてないのに、そこにどんどん原材料を送り込んだらどうなるか。

当然消化し切れずに、その工場が手一杯になって、置くところが無くなり、工場も停止する。

停止して又は停滞した状態では食物は工場内で腐敗する。

それが毒物となって周囲(臓器)を破壊するのである。

同じことが内臓で起きる。

だからそれが病気の原因になる。

その一種として、癌が出来るのである。

しかし、それまでは、癌は我々の身体の中で退治しているし、退治できるのである。

退治できなくなる原因は何か?

全世界の中で、黒人、白人、黄色人種がいるが、同じように癌は出来るけれども、治った人もいる。

そうすると食べ物は違う。

皮膚の色も違うし、習慣も違う。

そういうものは殆ど関係がないのである。

ではどこに共通点があるかと言うと、骨格である。

皮膚の色は違っても、筋肉と骨格は共通だ。

癌の人を見れば分かるが、まず身体が歪んで、正常な状態、形ではないのである。

正常な形にすれば、身体は充分な防衛力、予防の能力を発揮するから、仮に大きな癌が出来ても、それを退治するなり、それ以上増殖しないように抑え込むことも出来る。

前述した様に、現実にそういう人がいる。

現在は霊芝やアガリクス、等、色々な癌に効果があると言うサプリメントとかがある、そういうことで癌が治ることもある。

直接癌を退治する形でいろいろな食べ物もある。

薬王海源は癌をやっつけるのではなくて、癌に行く血管を断ち切ってしまうという働きがあると言う。

癌に対するサプリメントとして有効である。

これらは薬物ではないので自然療法の一分野と言える。

しかし薬物は全て外部から何か物を入れて癌を退治するという考え方だ。

本来は我々の持った身体の免疫能力が癌を退治している。

その力を充分に発揮出来るようにすれば、癌は無くなるのである。

それらの補助として、活用するのは有用であると考える。

ただし、この自然形体療法で癌の治療を始めた時、治療を始めると、身体が活性するから、一時的に癌が大きくなる場合があるだろうし、なくなる場合もあるだろう。

身体が活性化すると、癌も活性化する。

癌の増殖の方が速いから、一時的に癌は大きくなる可能性がある。

しかしもう一方では、癌が増殖する以前にもっと身体の抵抗力が増せばそういうことは起きない。

癌は若い人の方が速くなくなるのは、若い人の細胞は活性が強いからである。

それで、治療によって、一時的に癌細胞自体も活性化される。

だから老人の場合は新陳代謝が遅いので、癌の細胞も新陳代謝が遅いから、急激には大きくならないと考えられる。

しかし、一時的に大きくなっても、身体が本当の意味で活性化すれば、癌は退治されるから、今度は小さくなるし、なるはずだ。

それには一日に最低三回ないしは五回治療した方がいい。
それだと癌は退治出来るであろう。

平成20年7月12日

自 然 形 体 療 法

創始者  山 田  洋

http://www.shizenkeitai.co.jp/souhonbu/kenkyu/seika.html#40


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